カリフォルニア州で反アファーマティヴ・アクションの運動の先頭に立っていた黒人実業家、ウォード・コネリーの提案が、この度、否決された。
その詳細はこんなもの。
コネリーは現在カリフォルニア州立大学理事会の理事を務めている。彼は、両親がそれぞれ異人種・異民族の属する学生の5%が特定の人種にカテゴライズされることを嫌っており、自らのアイデンティティを「多人種」mutiracialとしたいと思っていることを根拠に、入学願書の人種・民族記入欄に「多人種」のカテゴリーを含めるように要求した。
ここまでは実に筋の通った、「ポストコロニアルの現在」を映し出す「進歩的」な提案のように聞こえる。
ところが、既にカリフォルニア大学では、multiracialのアイデンティティを持っている志願者には、それを表明することができていた。ことは単純、いくつかある志願書の欄の複数にマークを済め終わり。このようなことができたからこそ、コネリーは、そもそも異人種・異民族結婚をした両親を持つ学生を調査することができたのである。
カリフォルニア大学理事会の他のメンバーは当然コネリーの提案に反対した。コネリーは、現行の願書は「人種主義的である」と断言していたのだが、そのロジックがわからなかった、と伝えられている。
わたし自身も、彼の主張はさっぱりわからない。
どうやらここでポストコロニアルの現在は、現代アメリカでも最も保守的なものを育んでいるように感じる。アントニオ・ネグリとマイケル・ハートの下のことばは、このような事態を見事に察知している。
「ポストモダニズムとポストコロニアリズムにとっての大切な概念の多くは、現在の資本や世界市場のイデオロギーと完全に呼応している。世界市場のイデオロギーは、つねにすぐれて反基礎づけ主義的で反本質主義的な言説であった。流通、変動性、多様性、混合は、まさにその可能性の条件なのである。交易は諸々の差異を一緒にするのであって、差異がより多ければ、それだけ楽しみも多いのである!差異(すなわち商品、住民、文化、等々の差異)は世界市場において、無際限に増殖しているようにみえる。それは固定された境界を何よりも暴力的に攻撃している。それは無際限の多数多様性によって、いかなる二項対立的な分割をも凌駕するのである」
アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート『帝国』(以文社、2003年)