7月3日、マーロン・ブランドー逝去。
マーロン・ブランドーとブラック・ワールドの関係は何?、と思われる方も多いと思う。そこで簡単にその説明をしたい。
ハリウッドは、50年代の赤狩りの標的にされ、そこで政治的意識の高い人物はほぼ映画界から追放された。そのときの追放劇のなかで、仲間を「売った」として悪名が高いのが、映画監督エリア・カザン、当時は俳優だったロナルド・レーガン。ブランドーの出世作の監督がカザン。
しかし、ブランドーは、60年代に入り社会政治運動が盛んになると、それをハリウッドのセレブリティのひとりという地位を利用し、人的・財政的に支援した人物の代表である。このような活動をした俳優としては、ジェーン・フォンダが有名だが、フォンダの場合、後に「売名行為」として当時の行動が批判されるのと対称的に、ブランドーは、60年代に政治運動に身を投じた青年たちと同じく、あくまでも「叛逆」の表象であり続けた。
1962年、ミシシッピで学生非暴力調整委員会が黒人の有権者登録運動をしているときに、その運動資金を出したのは、ブランドーとハリー・ベラフォンテ。
1963年のデトロイト、マーティン・ルーサー・キングやアレサ・フランクリンの父、C・L・フランクリンと一緒にデモ行進したのはブランドー。
ワシントン大行進のとき、ハリウッドから仲間を引き連れてかけつけ、そうすることでメディアを動員するのを助けたのはブランドー。
ブラック・パンサー党の創設者で「国防大臣」、ヒューイ・ニュートンが、警官殺害の冤罪で投獄されたとき、解放運動の資金を提供したのはブランドー。
ご冥福をお祈りします