いま、70年代から80年代にかけて大活躍した黒人コメディアン、ビル・コスビーの発言が、アフリカン・アメリカン・コミュニティで大論争を起こしている。
最初は5月17日のブラウン判決50周年記念集会で行った発言。そこで彼は、ティーンの少女の妊娠や高率の高校中退率などは人種の問題ではなく、だらしない個人の責任だ、と発言した。さらに、ニガーということばを使う青少年たちの言葉遣いに対しても、非常に厳しい批判を行った。
従来、アフリカン・アメリカン・コミュニティでは、同胞のアフリカン・アメリカンの批判をすることは、wash dirty linen in public 内輪の恥を外にさらけ出す、として忌避される傾向がある。かつては、近代黒人運動の中心人物、W・E・B・デュボイスがそのようなことを行い、自らが創設者のひとりであったNAACPを退会するに至ったという経緯すらある。
どうやらコスビーは、自分の発言が論争を呼び、同胞から批判を浴びるということを熟知したうえで言ったようだ。公民権運動後に生まれた黒人たちは、公民権運動がこじ開けた門を、自ら閉ざしている、と彼はいう。
ここには明らかにアフリカン・アメリカン・コミュニティ内の対立が見える。しかし、その対立は、階層間・階級間の対立というより、世代間の対立のように思える。
ニガーということばをもっとも頻繁に公の場で使っているのは、ラップ・アーティストたちだ。彼ら彼女らは、それを、別に自分を卑下するためではなく、自分の場があるコミュニティの連帯の証として使っている。コスビーが批判するニガーという言葉と、彼ら彼女らにとってのニガーという言葉は、同じ意味を持つものではない。
と考えていると、ラッセル・シモンズの発言が手に入った。彼の判断によると、ラップの歌詞は「ヒップ・ホップ世代の闘争の表現」になるようだ。
ある文化史家は、わけてもニガーということばの使用に関し、その使用を止めることで差別を是正しようとする行為をreservationistと呼び、意味を変えて使うことで侮蔑的意味合いを内から穿とうとする行為をrevisionistと呼ぶ。
このケースでは、コスビーはreservationist、シモンズはrevisionistとなるだろう。
なお、ジェシー・ジャクソンはコスビーを支持、アル・シャープトンは、彼の行動の特徴ではあるが、日和見を決め込んでいる。
この問題は、現代のアフリカン・アメリカン・コミュニティを考える際にとても重要なものであるゆえに、稿を改めて、http://www.fujinaga.org/ か活字媒体で論考を発表する予定