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2004年07月 アーカイブ

2004年07月02日

公民権法施行40周年記念

この7月2日で公民権法が施行されてちょうど40年が経った。ホワイト・ハウスではそのセレモニーがあった。

何と、死刑判決がくだされたのだが冤罪の可能性が高かった黒人、シャカ・サフォア(ゲイリー・グラハム)を電気椅子に送る書類にテキサス州知事として署名し、アメリカ合州国史上最多の人間を死刑に処したジョージ・W・ブッシュは、「平等を目指した運動はまだ終わってはいない、なぜならば邪な偏見を抱いたものはまだ残っているからだ」という公式声明を発表した。この人間は自分が何を言っていて、何をやっているのかわかっているのだろうか。

ちなみに、1988年に、黒人男性はレイプ犯というイメージを選挙宣伝で使い、白人票を集めたのは、彼の父、ジョージ・ブッシュ。

2004年07月03日

マーロン・ブランドー逝去

20040703blando.jpg7月3日、マーロン・ブランドー逝去。

マーロン・ブランドーとブラック・ワールドの関係は何?、と思われる方も多いと思う。そこで簡単にその説明をしたい。

ハリウッドは、50年代の赤狩りの標的にされ、そこで政治的意識の高い人物はほぼ映画界から追放された。そのときの追放劇のなかで、仲間を「売った」として悪名が高いのが、映画監督エリア・カザン、当時は俳優だったロナルド・レーガン。ブランドーの出世作の監督がカザン。

しかし、ブランドーは、60年代に入り社会政治運動が盛んになると、それをハリウッドのセレブリティのひとりという地位を利用し、人的・財政的に支援した人物の代表である。このような活動をした俳優としては、ジェーン・フォンダが有名だが、フォンダの場合、後に「売名行為」として当時の行動が批判されるのと対称的に、ブランドーは、60年代に政治運動に身を投じた青年たちと同じく、あくまでも「叛逆」の表象であり続けた。

1962年、ミシシッピで学生非暴力調整委員会が黒人の有権者登録運動をしているときに、その運動資金を出したのは、ブランドーとハリー・ベラフォンテ。

1963年のデトロイト、マーティン・ルーサー・キングやアレサ・フランクリンの父、C・L・フランクリンと一緒にデモ行進したのはブランドー。

ワシントン大行進のとき、ハリウッドから仲間を引き連れてかけつけ、そうすることでメディアを動員するのを助けたのはブランドー。

ブラック・パンサー党の創設者で「国防大臣」、ヒューイ・ニュートンが、警官殺害の冤罪で投獄されたとき、解放運動の資金を提供したのはブランドー。

ご冥福をお祈りします

ビル・コスビーの発言が引き金となった論争

いま、70年代から80年代にかけて大活躍した黒人コメディアン、ビル・コスビーの発言が、アフリカン・アメリカン・コミュニティで大論争を起こしている。

最初は5月17日のブラウン判決50周年記念集会で行った発言。そこで彼は、ティーンの少女の妊娠や高率の高校中退率などは人種の問題ではなく、だらしない個人の責任だ、と発言した。さらに、ニガーということばを使う青少年たちの言葉遣いに対しても、非常に厳しい批判を行った。

従来、アフリカン・アメリカン・コミュニティでは、同胞のアフリカン・アメリカンの批判をすることは、wash dirty linen in public 内輪の恥を外にさらけ出す、として忌避される傾向がある。かつては、近代黒人運動の中心人物、W・E・B・デュボイスがそのようなことを行い、自らが創設者のひとりであったNAACPを退会するに至ったという経緯すらある。

どうやらコスビーは、自分の発言が論争を呼び、同胞から批判を浴びるということを熟知したうえで言ったようだ。公民権運動後に生まれた黒人たちは、公民権運動がこじ開けた門を、自ら閉ざしている、と彼はいう。

ここには明らかにアフリカン・アメリカン・コミュニティ内の対立が見える。しかし、その対立は、階層間・階級間の対立というより、世代間の対立のように思える。

ニガーということばをもっとも頻繁に公の場で使っているのは、ラップ・アーティストたちだ。彼ら彼女らは、それを、別に自分を卑下するためではなく、自分の場があるコミュニティの連帯の証として使っている。コスビーが批判するニガーという言葉と、彼ら彼女らにとってのニガーという言葉は、同じ意味を持つものではない。

と考えていると、ラッセル・シモンズの発言が手に入った。彼の判断によると、ラップの歌詞は「ヒップ・ホップ世代の闘争の表現」になるようだ。

ある文化史家は、わけてもニガーということばの使用に関し、その使用を止めることで差別を是正しようとする行為をreservationistと呼び、意味を変えて使うことで侮蔑的意味合いを内から穿とうとする行為をrevisionistと呼ぶ。

このケースでは、コスビーはreservationist、シモンズはrevisionistとなるだろう。

なお、ジェシー・ジャクソンはコスビーを支持、アル・シャープトンは、彼の行動の特徴ではあるが、日和見を決め込んでいる。

この問題は、現代のアフリカン・アメリカン・コミュニティを考える際にとても重要なものであるゆえに、稿を改めて、http://www.fujinaga.org/ か活字媒体で論考を発表する予定

2004年07月04日

コスビー発言続報

20040704cosby.jpgコスビーの発言は、わけてもニガーということばの使用に関し、ラップを放送禁止にしようという動きがあった90年前後以来の大論争を読んでいる。2日には、ケーブルテレビ局主催で、討論会が行われた。参加者は、現在黒人知識人の筆頭にあげられるスタンレー・クローチや、パブリック・エネミーのチャックD、等々。

やはり、ヒップ・ホップ・ジェネレーションの発言は面白い。討論会に参加したある者は、別称として使われているniggerと、ヒップ・ホップ・カルチャーでいうniggaとは違う、と主張する。

下の投稿での区別でいえば、わたし自身は、ヒップ・ホップ・ジェネレーションの側、つまりrevisionistに立つ。マルコムXもそうだろう。彼はかつてこう言った。「差別の毒牙は、己に自信をもっていれば恐ろしくはない」。

2004年07月11日

フロリダ州当局、ついに2000年大統領選挙の投票権剥奪を認める!

7月10日、フロリダ州当局が、2000年の大統領選挙において、重犯罪の前科のあるもの/重犯罪で服役中のものから投票権を剥奪することを規定している法により、犯罪者に占める率に不釣り合いなかたちでアフリカン・アメリカンの投票権を剥奪していたことを認めた。

このような手法により投票権を剥奪された黒人の数は2万2千人にのぼる。対して、選挙戦の勝利を最終的に決めたゴアとブッシュとの票差はわずか537票。

アフリカン・アメリカンの9割以上がブッシュ支持者。

しがたって、至極簡単な計算で、ブッシュの当選の正当性を疑問に付すことができる。

今年ブッシュがイギリスを訪問した際、ロンドン市長は「正当な手続きによって民主的に選ばれたのではなく、一種のクーデタによって政権を奪取したものを市の賓客として迎えるわけにはいかない」と言い放ち、会見を拒否した。市長の勇気に拍手!。

なお、7月11日付けの『ニューヨーク・タイムス』は、重犯罪者から選挙権を奪うことは投票権法に抵触するという見解を社説にて発表している。

「ビル・コスビー論争」続報

『ニューヨーク・タイムス』は、黒人からの投書6通を掲載。そのすべてがコスビーの発言を擁護するもの。

わたしの意見をここではっきりしておくと、彼の発言を全面的に支持することはできないが、それでも「まちがった」ことは言ってはいないと考えている。

2004年07月14日

「哀れみ深い保守主義者」のほんとうの姿

20040714mfume.jpg7月10日から15日まで、公民権団体のなかでも最古の歴史を持ち、最大の会員数を誇るNAACPがフィラデルフィアで年次大会を開催した。今年の大会は、大統領選挙の年であるゆえに、その意味も大きい。

さて、NAACPは昨年12月の段階でブッシュに招待状を出していたのだが、彼は出席を断った。理由はスケジュールがあわないからだそうだが、このような言辞は、文字通りとることはできず、普通、出席の意志がない、つまり拒否の意志を表明したと解される。

時遡り、2000年大統領選挙。このときばかりはブッシュ候補は勇んで大会に参加し、保守的といわれる共和党のなかにあって自分はマイノリティのことに強い関心がある「哀れみ深い保守主義者compassionate conservative」であると語った。

ところが、ブッシュの公民権における政策はきわめて評価が低い。否、批判されることはあっても評価されることはない。

その自分の姿に忠実に今回は大会参加を拒否し、NAACPの面目を潰しにかかったのだ。過去70年の歴史のなかで、NAACPの年次大会に一度も参加しなかった「現職大統領」は彼だけである。(ちなみにクリントンは、8年間のうち7回参加した、欠席した回は外遊中)。

さて問題はブッシュのこのような行動にNAACPがいかなる対策をとるか、である。マイノリティの票でも、効果的に動員すれば、団結票の重みとして選挙戦を左右できるし、これまで何度も左右してきた。問題はここのところ黒人の投票率が低迷していることだ。

したがって今年の大統領選挙は、また、NAACPは一般の黒人の支持を得ているのかがわかる、同団体にとっても大きな試金石となる。はたしてNAACPは、かつてのように、黒人票を動員できるのだろうか?。

2004年07月15日

フロリダの票計算、まだ改善されず

14日付けの『ニューヨーク・タイムス』によると、前の大統領選挙で多くの黒人票がカウントされなかったフロリダの選挙制度改革はまだ終わっていないらしい。問題は以下の2点。

(1)タッチスクリーン式にするのだが、投票をした事実のハードコピーはどこにも残らない。したがってデータの改竄も極めて容易にできる

(2)多方面から批判を浴びた犯罪の前科のあるものから投票権を奪うことについて何一つ改善はなされなかった。

なお、(2)の件については、連邦公民権委員会が公民権法違反の疑いがあるとして調査を開始する模様。

2004年07月16日

ムミア・アブ=ジャマルとNAACP

NAACPの幹部会は、大会終了直後の15日、1970年代にフィラデルフィア(今年の大会が開催された場所)で警官殺害の嫌疑で死刑判決を受けている、元ブラック・パンサー党活動家で社会派のトーク・ラジオDJだったムミア・アブ=ジャマルの再審請求を支持する決議を緊急採決した。

日本語で手記の翻訳も出ているアブ=ジャマルは、獄中より無罪を訴えている。

アムネスティ・インターナショナルUSA支部の調査によると、アブ=ジャマルの死刑判決が下った裁判において、判事は「あのニガーを油で揚げてしまえ」"fry that nigger"というとんでもない発言をしていたらしい。同組織は、この発言だけでも、再審理請求の充分な根拠となるという見解を発表している。

なおNAACPの決議にあたっては、創設者のひとり、W・E・B・デュボイスの息子で現在マサチューセッツ大学教授、デイヴィッド・グラハム・デュボイスが強力に推進したものである。

連邦公民権委員会、フロリダ州の調査開始

20040716mary_francis_berry.jpgかつてよりマイノリティを不当に扱っていると問題が指摘されているフロリダ州の大統領選挙投票手続き・基準に対し、15日、連邦公民権委員会が正式に調査に乗り出すことを発表。

なお、この機関は、法の執行権限は持っていないが、各省とは独立した団体である。したがって、「人種主義者」であり、「公民権侵害を恥も外聞もなく実行している」と悪名が高い、ジョン・アッシュクロフト司法長官が「介入」する権限はない。ちなみに委員長は、クリントンが任命したメアリー・フランシス・ベリー。

公民権委員会がどこまで調査し、是正を求められるかはさておき、事前にここまで注目が集まれば、少なくとも2000年大統領選挙「級」の露骨な投票権侵害は防ぐことができるのではないだろうか。

2004年07月22日

Patheticなブッシュ選挙戦

20040722don_king.jpgNAACP年次大会への招待を拒絶したブッシュは、黒人票を掘り起こすために特別委員会を結成した。ところが、驚きは、その委員会のメンバー。

なんとドン・キングがいるのである。写真の髪型をみれば、ああ、この人、と思われる方は多いだろう。

が、念のため解説しておきます。

ドン・キングは、モハメド・アリのファイティングマネーを巻き上げ、民事訴訟で敗北した人物。ドン・キングは、マイケル・ジャクソンからギャラと印税をせしめようとして失敗した人物。悪名高い詐欺興行師。(アリを初めとするボクシング界での詐欺行為に関しては、右の拙訳が詳述している)

さらに、ドン・キングは、マルコムXの友人であったコンゴ共和国の初代首相パトリス・ルムンバを殺害し、クーデタで政権を奪取、同国を現在に至るまで苦しめることになる腐敗政権の始まりを期した人物、独裁者モブツ・セセ・セコの友人。ドン・キングは、アジアでは、マルコス元フィリピン大統領の友人。

ドン・キングは独裁者が大好き。

周知のとおり、ブッシュは、イラクの独裁者から追放するといって戦争を起こした。またまた彼の論理は破綻をきたしている。

何はさておき、ドン・キングの方が、NAACPより、黒人コミュニティで支持を得ているとたいへんな勘違いをしている。しかし、共和党幹部のなかに、まともな政治学・社会学のトレーニングを受けたものはいないのだろうか。

ブッシュの選挙戦はpatheticだ。

2004年07月29日

2大政党制と多様な社会の併存不可能姓

全米ネットCBS放送と黒人を主な視聴者とするケーブル局BETが実施した世論調査によると、成年の黒人の何と10分の9が、イラク戦争に価値はなかったという意見をもっていることが判明した。

しかし、こうなると問題はアメリカの硬直した政治制度である。民主党候補に正式指名されたジョン・ケリー上院議員とブッシュの公約や基本的政治姿勢は違っているのだろうか?、それが問題なのだ。

民主党候補のケリー人気は、「ブッシュ以外なら誰でも良い」、アメリカではABB(Anything but Bush)と略して称されるようになった世論の後押しを受けている面が決して小さくない。雇用創出や税制の面では、均衡財政を主張し、海外で生産活動を行っている企業に対する税率を上げ、そうすることによって労働者へ所得の「再配分」を行おうと主張している面において、ケリーはブッシュと大きく違っている(ブッシュは高額所得者の税控除を増額する措置を実際にとった)。

ところが、世界の注目を浴びている対イラク政策に関し、ケリーは「[ここまで来たなら民主化をめざし]最後までがんばる」という主張を繰り返している。つまり彼は「反戦候補」などでは断じてない。

この経緯は、ベトナム戦争当時、1968年の大統領選挙を思わせる。この年の選挙は、民主党はハンフリー、共和党はニクソンを擁立し、たたかわれた。ニクソンは、民主党現職副大統領であるハンフリーを相手に、同党の対ベトナム政策を激しく批判した。アメリカ軍の実戦部隊を削減し、軍事顧問団だけを南ベトナムに残すという「ベトナム化政策」を提唱したのも彼だ。しかし、いったん当選すると、ニクソンは、北爆を再開し、カンボジアに侵攻したのである。

2つの政党が票を競いあうとなると、互いが浮動票の獲得を目指し、この「浮動票」なるものの実態が不明なため、2党の政治綱領(マニフェスト、米語では正式にはプラットフォーム)は、時を経るに従って類似性を高めてくる。これは政治学の基礎的知識だ。

有権者が均質かつ平等である政体ならば、このような2大政党の性向は、中道路線を踏襲することになり、さして問題は起きないだろう。しかし、多様化が叫ばれている現代社会、わけてもその度合いが高いアメリカにおいて、このような硬直した政党政治はマイノリティの意見を押しつぶす方向に働く。

現に、イラク撤退を望んでいる有権者は、投票すべき候補が存在していない。イラクだけを争点にするならば、10名のうち9名の黒人は、望ましい候補をみつけることができないのだ。

この意味において、「政権交代可能な2つの政党」という言葉は、「政権が交代しても劇的政策変更はありえない2つの政党による民主政治」と解することができる。

民主主義は、自由な社会において、人びとの多様な欲望を調停する、いまのところベストな政体である。しかし、政治制度が多様性を反映しないかぎり、その利点は極めて小さくなる。アメリカ大統領選挙の投票率は極めて低い。

イラク戦争をリードした国家がともに「2大政党制」であるのは、偶然の一致だろうか。戦争に反対した欧州の大国が、多様な政治を反映しやすい多党林立政体であり、連合政権をとっているのは偶然の一致だろうか。

実は、アメリカの2大政党制がもたらす有権者へのオプションの減少については、かねてからずっと指摘されてきたことである。「あなたはリンゴが好きですか、それともミカンが好きですか」と二択で訊ねられ、「どちらも好きではありません」と答えると少し、「バナナが好きです」と答えるとかなり変人と思われてしまう。しかし2代政党制のカラクリはこれと同一の構造をとっているのだ。少し大胆な比喩を使うと、「弊社の商品をご紹介したいのですが、明日がいいですか、それとも明後日がいいですか?」という質問を投げかけてくる押しの強い悪質な訪問販売と良く似ている。用心しなくては、二択の構造に捕らわれてしまい、「来なくても結構です」と言えなくなってしまう。

現在のアメリカでは、「イラク撤退」はもとより、「国際社会へ大量殺戮兵器がみつからなかったことに対する説明責任をまっとうする」と言う大統領候補はいない。

さて、その国家の領土内に住む人びとの多様化が著しく進行する一方で、野党に2大政党制を主張している国があるが、その方向で良いのだろうか。その国では、従来ずっと「護憲」を唱える政党が消えつつある。憲法を守りたいひとが勝利を見据えて投票できる候補が見つからなくなってしまう可能性が高い。

アメリカでは、自分たちの利益を代弁してくれると黒人たちが感じることのできる候補が存在しない。激しい闘争のすえ勝ち取った投票権を行使しないひとが急増している。

(なお憲法論争について、当ブログの主題と関係がないため、ここでは私論は展開しない。上記の意見や事実の指摘は、アメリカ政治から見えるもののひとつとして紹介した)。

2004年07月30日

迷走する南部キリスト教指導者会議

60年代公民権運動の中心的存在だった南部キリスト教指導者会議(SCLC)の派閥争いが激化している。

事の発端は、昨年11月のキング3世の会長辞任。同団体は、マーティン・ルーサー・キングを中心に組織されたものであり、キングの縁者がトップにいる限り、ある程度の内紛は押さえ込むことができた。しかし、キング3世の辞任は、内紛が激しくなるきっかけになってしまった。(辞任の理由は、すでに起きていた内紛の調停に「疲れてしまった」から)。

今回、50年代から60年代にかけてキングの側近中の側近だったラルフ・アバナシーの息子、アバナシー3世が会長に立候補した。しかし、立候補する前に、彼は、64の団体をSCLCに加盟させようとした。

これが会長選挙に勝つための工作であるを見破った暫定会長は、新規加盟団体の会長選挙での投票権を剥奪するという措置をとった。(これはSCLCの内規に規定された会長権限のひとつである)。

奇妙なのはアバナシー3世のこの動きをサポートした人間。元ブラック・パンサー党議長イレーン・ブラウンが、アバナシー3世の側近を現在務めている。なお60年代にSCLCとパンサー党とのあいだに関係は一切なかった。

いま現在、アメリカ社会に影響力をもっている黒人の団体はNAACPだけである。こうなったのも、ほかの団体がこのSCLCのような内紛によって迷走を続けているからだ。NAACPにしても10年前は同じような状態だった。そうこうする内に、黒人団体が真っ向から対立している人物がホワイト・ハウスの住民になってしまっている。

SCLCの内紛は、こんにちのブラック・コミュニティがかつてのような同一性をもっているものではないこと、そして、そのなかでマイノリティの運動はどうすれば良いのか、その道の選択に困惑していることを示している。

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