なぜか日本でもアメリカでもレーガンの葬儀に際し、彼を「持ち上げる」論調の報道が続いた。サダム・フセインに大量殺戮併記を売ったのは彼の政権のときであり、アメリカ経済を悩ませた「双子の赤字」は彼の時代に最大になっていた、等々といったことを指摘するのも少数に留まっていた。
先週末、スティーヴィー・ワンダーのコンサートなど、中止に追い込まれてものものある。いわばアメリカに住むもの全員が「喪に服す」ことを要求されていたようだ。
しかし、黒人向けのメディアは、彼が為したことを忘れてはいない。彼は、とにもかくにも、公民権運動家3名が殺害された街として有名なミシシッピ州フィラデルフィアーー映画『ミシシッピ・バーニング』のモデルとなった事件、なおFBIの大活躍を描いた同映画には、実際にFBIは死体捜索以外何もしなかったことを鑑み、当時の運動家から激しい批判が浴びせられたーーで大統領選遊説活動を開始した人間だ。しかも、それがどのような意味を持つのかをはっきりと意識しながら(黒人は共和党にとって必要ないということ)。
また「福祉の女王」Welfare Queenということばを創り、人種主義者と批判されるのを避けつつ、遠回りに黒人批判を行ったのも彼が最初である。