巨星逝く
レイ・チャールズが、ビヴァリーヒルズ病院で、6月10日午前11時35分、肝臓疾患のため逝去されました。享年73。
えっ、と『ニューヨーク・タイムス』からのメールを読んだとき絶句しました。4月30日、彼の邸宅がロサンゼルス市の歴史遺産として保存されることになったのですが、そのときが公共の場における彼の最後の姿になったようです。
黒人音楽の歴史を創ったひとがまたひとり。ご冥福をお祈りします。
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レイ・チャールズが、ビヴァリーヒルズ病院で、6月10日午前11時35分、肝臓疾患のため逝去されました。享年73。
えっ、と『ニューヨーク・タイムス』からのメールを読んだとき絶句しました。4月30日、彼の邸宅がロサンゼルス市の歴史遺産として保存されることになったのですが、そのときが公共の場における彼の最後の姿になったようです。
黒人音楽の歴史を創ったひとがまたひとり。ご冥福をお祈りします。
なぜか日本でもアメリカでもレーガンの葬儀に際し、彼を「持ち上げる」論調の報道が続いた。サダム・フセインに大量殺戮併記を売ったのは彼の政権のときであり、アメリカ経済を悩ませた「双子の赤字」は彼の時代に最大になっていた、等々といったことを指摘するのも少数に留まっていた。
先週末、スティーヴィー・ワンダーのコンサートなど、中止に追い込まれてものものある。いわばアメリカに住むもの全員が「喪に服す」ことを要求されていたようだ。
しかし、黒人向けのメディアは、彼が為したことを忘れてはいない。彼は、とにもかくにも、公民権運動家3名が殺害された街として有名なミシシッピ州フィラデルフィアーー映画『ミシシッピ・バーニング』のモデルとなった事件、なおFBIの大活躍を描いた同映画には、実際にFBIは死体捜索以外何もしなかったことを鑑み、当時の運動家から激しい批判が浴びせられたーーで大統領選遊説活動を開始した人間だ。しかも、それがどのような意味を持つのかをはっきりと意識しながら(黒人は共和党にとって必要ないということ)。
また「福祉の女王」Welfare Queenということばを創り、人種主義者と批判されるのを避けつつ、遠回りに黒人批判を行ったのも彼が最初である。
大方の期待を反して、連邦最高裁判所が、ミシガン大学法科大学院のアファーマティヴ・アクションを採用した入試基準を合憲と判断してから1年が経過した。
今度は、この裁判で敗訴した Michicagn Civil Rights Initiave が、住民投票によって州立大学のアファーマティヴ・アクションを禁止しようとしている。そして、6月13日、ミシガン州控訴裁判所は、この住民投票が今年の選挙で住民の判断をあおぐことにことになることを正式に許可した。
この動きの中心人物が、カリフォルニア州の黒人実業家ウォード・コナリー(拙訳『アメリカ、自由の名のもとに」にも登場)。
黒人がアファーマティヴ・アクションに反対していること、そしてまた、ミシガン州の団体が Civil Rights を掲げてそうしていること、これは70年代以後のブラック・コミュニティの変化を物語っている。
もはや60年代までのブラック・コミュニティはアメリカには存在しない。
『ワシントン・ポスト』紙とABC放送の合同世論調査によると、黒人のあいだでのジョージ・W・ブッシュの支持率は、6%という低水準。この数値は、共和党大統領候補として史上最低の支持しか黒人から得られなかった2000年大統領選挙での8%よりさらに下。
なお、民主党から大統領候補として指名されるのが確実なジョン・ケリー上院議員に対する黒人の支持率は、79%。
この民主・共和2大政党候補に対するこのようなトレンドは大体予測できたが、ここで気になるのは、黒人でも増えている「無党派層」。(2002年にJoint Center for Political and Economis Studiesが行った調査では、24%に達し、その率は年齢が若ければ若いほど高まる)。
深南部初の黒人市長となったメイナード・ジャクソン(Maynard Jackson)元アトランタ市長が亡くなってから、6月23日で一年が経過することになる。この16日、そのジャクソンを讃えるランプがアトランタに建立された。
場所は、アトランタの随一の大通り、ピーチトゥリー・ストリートと、同市の黒人居住区の中心街、オーバン・アヴェニュー(故マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの生家が面している通り)の交差点。同市における黒人の政治力の伸張を物語るには絶好の地。
故ジャクソンがこのような「象徴」を喜んだかどうかは甚だ疑問だ。なぜならば、彼は、名だけの「黒人の進歩」よりも実質の生活の向上を目指した急進的黒人政治家として名を博していたからだ。
『サンフランシスコ・クロニクル』紙は、黒人やラティーノを中心に大規模な選挙権剥奪が起きた2000年大統領選挙の回顧記事を掲載。そこで改めて、前回の選挙で技術的問題からカウントされなかった票の過半数以上が黒人が多数の選挙区のものであったという事実を指摘する。
その後、紙に書いた投票用紙のカウントから、タッチ・スクリーン方式に変える「ハイテク導入」がなされているようだが、同紙はそこにおける問題点も指摘している。2000年のフロリダ州でおきたような、警官による投票妨害が再発する危険性をタッチスクリーンは回避できないということ。
この見解にわたしは同意する。
ヘンリ・ルイス・ゲイツ・ジュニアとラニ・ギニアという現代のアメリカ黒人の知識人たちのインタビューによると、現在ハーヴァード大学に通っている黒人は全体の8%、実数にして530人になった。
ハーヴァードの位置する場所を考えると、8%という比率は決して低いと断言できるものではない。
しかし、問題を複雑にしているのが、黒人内部での差異、特にエスニシティによる相違である。近年、カリブ系移民やアフリカ系移民の研究書の刊行が相次いでいるが、それらはこの黒人内部の差異に焦点を当てたいがためである。
さて、ハーヴァードでは、黒人学生のなかで、祖父母の代から合州国に居住しているものは、黒人学生全体の3分の1にしかならないらしい。
スパイク・リー監督の『ドゥー・ザ・ライト・シング』を思わせる実態だ。
6月24日、またしても警察官による黒人青年への暴力行為がビデオに収められ、全米に報道された。場所は、1992年の大暴動の現場、ロサンゼルスのサウスセントラル地区。警察の残虐な行為は、暴動の原因となった、ロドニー・キング殴打事件にそっくりだ。
しかし、類似はここで終わる。
1992年当時の警察署長は、人種差別的とも思われる発言を繰り返していた問題の多い人物だった。現在の警察署長は、そのような警察を改革した人物として高く評価されている人物である。
また、ロドニー・キングの罪科はスピード違反だった。無防備の人間を、スピード違反したからといって、殴る蹴るの狼藉を働く警官は明らかに常軌を逸したものだったし、それゆえ多くの者が怒りを抱き、その果てに暴動がおきた。しかし、この度、暴力を受けた人物の罪科は車の窃盗。しかも、警察とカーチェイスを行い、犯人が武装しているのかどうかも警察の側には不明だった。そして暴力を行使した警官のなかには黒人警官もいた。
このような事件の被害者は、非常に高い割合で、黒人(アフリカン・アメリカンとアフリカ人)である。しかし、わたしは、「人種差別」だけが、このような事件の原因だとは思えない。アメリカのメディアは、人種的側面だけに注目するが、アメリカという国自体が、銃器をもつ「自由」を認めている等々、きわめて暴力的な社会だということも見落としてはならないだろう。
かつて、ブラック・パワー運動の中心にいたH・ラップ・ブラウンは、「暴力というものは、アメリカン・パイと同じほど、アメリカ的なものなのだ」と、アメリカ社会の残虐性を批判した。そのことばが、この事件の顛末を追いかけていたわたしの脳裡に浮かんだ。
シカゴ、6月25日の夜、ジェシー・ジャクソン・ジュニア(連邦下院議員)、ボビー・ラッシュ(同じく連邦下院議員で元ブラック・パンサー党シカゴ支部の副議長)、イスラーム、キリスト教の宗教界のリーダー、さらにはギャングのリーダたちが会合を開いた。目的は、黒人青年が直面している苦境への対処法を議論すること。
昨年、わたしはアメリカ史研究会において、アメリカでの「監獄社会」の誕生について、時間の都合上短くなったが報告を行った。(報告ハンドアウトはhttp://www.fujinaga.org/を参照)。この会合の報道によると、わたしが黒人青年の苦境を調査したときよりさらに悪化している。
シカゴ都市圏において、16歳から22歳までの黒人青年のうち、学校に通ってもいなければ、雇用もされていないものの率は過半数を超えている。また、高校までが義務教育であるアメリカにおいて、高校を卒業できていないものの率は、38%にのぼる。
ここにて悪循環は完結する。80年代以後の産業構造の転換(リストラクチャリング)以後、都市圏で増加した職は、高学歴を要する専門職か、地位の上昇がのぞめない雑役労働かに限られている。
高校を出ないから仕事に就けないのか、それとも、仕事に就けないから高校にいかないのか。そんなことを考えるあいだに、危機的情況がそのまま放置されている。
この会合が有意義に終わることを祈る
民主党から大統領候補に指名されることが確実になっているジョン・ケリー上院議員が、黒人票獲得に向けて動き始めた。
この6月は、アメリカ南部の人種隔離制度に終止符を打った公民権法が議会で可決されてから40周年にあたる。ジェシー・ジャクソンが長を務める団体PUSH/Rainbowが開催した記念集会にケリーが参加。
それでも彼の選挙戦に対する黒人からの不満の声は多い。わけても前の二人の候補、クリントンとゴアが、南部出身ということもあって、選挙戦の枢要な位置に黒人を登用していたのと比較され、候補側近に黒人がたった一名しかいないという点は、しばしばケリー批判として聞こえる声だ。
さらに、ケリーは、PUSH/Rainbowの集会で、2500億ドルの予算を高等教育の特別予算とし、貧困家庭出身者が大学に進学しやすいようにするとの公約を語ったが、わたしはいま最も切迫している黒人の情況に、この施策の効果は乏しいと思う。より重要なのは、ほぼ教育機関として成り立ってさえいない、初等中等教育の改善にある。
他方のブッシュは、コンドリーザ・ライスとコリン・パウエルの登用を、「黒人に対して開けた共和党」のシンボルとして喧伝してきた。しかしながら、過去3年間、ブッシュは、黒人から実際に支持を得ている公民権団体の指導層とは一切会わなかった。
とすると当然、ブッシュよりは「まし」という声があがることになる。しかしブッシュより「まし」でない候補などいるのだろうか?